自分の感覚を信じる(大切なことなので2回言いました)

この攻撃は当たる、この攻撃は当たらない。そんな感覚がある。


しかしその通りの行動が取れているかというと、必ずしもそうではない。というか取れていないことの方が多い。


ちょっと無理がありそうだけど、相手がジャンプしてくれたら当たる。このタイミングでガード解除してくれたら当たる。相手が技を置かなかったら当たる。


いずれも読みと言えば読みかもしれないが、自分の場合は上手く行った時が脳裏に焼き付いたお願い行動でしかない。自分がやりたいことをやっているだけの一人相撲なので、波長の合わない相手にはむしろ読まれて手痛い反撃を受けることの方が多い。しかしそれが止められず、幾度となく苦渋を舐め続けてきた。


理由は最近ようやく分かった。辛い時苦しい時、上手くいく可能性に逃げていたのだ。




大分前にも同じことを書いている。


その時も、攻撃の当たる当たらないの感覚を信じて、それに従って行動しよう。みたいな内容だった筈だ。


しかし、当時の自分は日々の新しい発見や課題に目移りしていて、感覚に気をつける程度のことは少しずつ忘れてしまっていたようだ。


その結果として、辛い時苦しい時の安易なお願い行動を繰り返し、あっさり処理されての繰り返しだった。更には真の原因にすら気付かず、小手先の技術ばかりに目を向けて迷走する有様であった。


しかし、本当に目を向けるべきは、藁にもすがってしまう自分の心の弱さだったのだ。




自分には憧れるプレイスタイルと、目標とするプレイスタイルがある。


憧れるスタイルはガン攻めだ。待ちや弾幕なんて好きじゃないし、インファイターに近接で勝ってこそカッコいいと思っている。勿論飛び道具持ちだろうと遠距離で崩すなんてやってられないので拳(剣と脚)で殴りかかる。ブーメランや空前もバンバン当てていきたい。


目標とするスタイルは鉄壁だ。めちゃくちゃ堅くてしぶとい某マリオヨッシー使いの人が分かりやすいか。とにかく隙の無い安定感ある立ち回りを会得したい。ひたすら確率の高い択を選択する(できる)立ち回りだ。




そんな二つの狭間で、自然体では憧れるスタイルの方に引っ張られているようだ。


ここでブーメランを当てたい。ここで空前を引っ掛けたい。ここで掴みを通したい。その気持ちがあるからこそ、意識しなければ待つことすらできずひたすら接近して技を擦りまくる機械と化すし、強引な択でも通った場面をイメージして振ってしまうのかもしれない。


しかし、理想と現実は往々にして食い違うものだ。


いずれ子供が夢から覚めるように、自分も現実を生きていかなければならない。少なくとも、勝ちたいという気持ちがあるのならば。




勿論、趣味で楽しくないことをするつもりはない。


スマブラにおいては手も足も出ず3タテされるような相手と連戦して少しずつでも対応していく過程が一番楽しいのだから、少しでも強い相手と戦うために腕を磨くのは苦ではない。


片や憧れる立ち回りではあるが、それが自分に合わないもの、使いこなせないものであるなら仕方がない。自分に合うもの使えるものを検証して身につけていくだけだ。




だからこそ、欲望を完全に制して理性で技を振るうのだ。


どんなに崖に追い詰められても、どんなに撃墜が遠くても、目の前の可能性に手を伸ばしてはいけない。


大切なのは耐えること。


どれだけ目の前の択が魅力的であっても、そこに絶対の確信が無ければ切り捨てなければいけない。


なぜならそれこそが自分自身を陥れる罠だからである。


そうして希望を切り捨てて、地道な一歩を重ね続けた先にこそ、探している本当の答えがあるのではなかろうか。




以上、寝不足疲労困憊アルコール入り深夜テンションのチラ裏でした。


2019年5月13日 02時29分に投稿

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